2014年10月1日

聖なる少女

静岡展解説シリーズ、9回目、今日はIII-4章です。

(解説パネル) III-4. 聖なる少女

さまざまな文明における巫女の存在。熱烈な信仰を集める聖女。
どうも少女というものは超越的存在とわれわれ世俗の民とを結ぶ特別な地位を占めているようです。

手元の漢和辞典によると、「聖」の字源がつぎのように解説されています。

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形声。耳と呈の合字。何事にも通じない事のない人。転じて、知徳の最もすぐれること。耳は聡明の義。呈は音符。(『新大字典』、講談社、1993)

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ということで、おのずから「聖なる少女」は「神の声を聴く少女」の画題へと展開し、現代アートの分野でもさまざまな作例を見せてくれるというわけです。

本章ではそれを追ってみました。

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↑ 右端の吉岡正人作品。《呼ぶ声がする》というタイトルで、まさに何か超越的なものの声を聴く少女が描かれています。現存作家の作品ですが、テンペラという油彩画以前の技法を駆使したアルカイックな雰囲気も魅力的。

中央の作品はメランコリーの章にも登場したob《光が私をみつける》。倒れ込んだ少女の右上から、なにか神聖な光が差し込んできます。黒衣の少女の首には髑髏のアクセサリーが。ダークサイドから回心した聖女のようにもみえます。

左の静謐かつ神秘的な雰囲気の作品は藤野一友《祈り》。藤野作品はP.K.ディックの邦訳本の表紙にも採用されています。

(*図録解説では藤野一友は「P.K.ディックの邦訳本の表紙画も手がけました」としているのですが、これはやや不正確。「作家生前に、ディックの表紙のために作品を描き下ろした」のではなく、「作家没後にデザイナーが藤野作品をディック作品の表紙に採用した」というのが正しいのです)

 

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↑ 右の作品は牧野虎雄《庭の少女(中庭)》。多くの画家が神秘的なエネルギーや生命力への関心を示した大正期。そんな時代の作例にふさわしく、庭全体に横溢する植物のエネルギーが印象的です。それとは対照的に緑に抱かれて穏やかにすやすやと眠る少女。むしろこの少女こそがこの庭の生命力を統御する女神のような存在に見えてきます。

中のディスプレイでは少女をモチーフにした高木正勝の映像作品2本をループ上映。いずれもエッジの効いたクリアな印象にまとめられていますが、少女に注がれる暖かなまなざしも印象的。どこかしら牧野作品に共通する印象を受けます。この展示室全体を秩序づける澄んだ音楽も魅力的。

左の作品は山本大貴《Hear no evil II》。「無骨なヘッドフォンを装着した美少女」という画題はちょっとした流行があり、5年ほどまえにはそれをテーマにしたイラスト集も出ていますね。ちなみに本作、何か妙なる音楽や異世界の声でも聞いているのかと思いきや、英語では “see no evil, hear no evil, speak no evil”で、「見ざる聞かざる言わざる」。なんとも人を食ったタイトルです。

ということで、「聖なる少女」でした。
また次回お目にかかります。
ごきげんよう!


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